Solo Show Luxor Beyond / gallery 82 NaganoFebruary 2002



luxor beyond

 今回も相変わらず、そもそも脈絡無く絵を描いているにすぎない。プランと言ってみても、壮大な構想を現実化させる至急な理由や意味はないし、構想自体が十分に現実的な知覚を促すこともある。描くということは、躊躇わずに動く指先を追う眼差しを、あるいは示すのかも知れないと最近考える。問題は指先が年齢と共に硬直し、意味や疲労や生活や人間関係などで指本来の自在を失って、もはや躊躇わずどころか動かないということだ。ひび割れた指先には眼差しが届かない。
「描く」とはだから鉛筆やコンテを握って線を引くだけのことではない。ある者にとっては鋏で庭木を切り落とすことかもしれないし、ある者にとっては空を見上げ気象の行方を探ることかもしれない。谷の反響に耳を澄ますことかもしれない。
自らが撮影した写真や、落書きのようなアイディアが描きのこされた手帳などを捲ることから、やはりはじめていた。指先だけが勝手に先走った「描き」に現時点での眼差しを与えるのが私の仕事の目的であって、そのそれぞれの眼差しの行方がどのような意味を醸すのかまだわからない。そういう意味でこのようなテーマあるいはタイトルがつけられている。
携帯電話でコミュニケートする子供達をみると、オッカムの剃刀によってローレンツやマックスウエルが排除されアインシュタインが残ったような、単純な明快さを選択してユートピア化する時代が到来しているという見方もある。だが前世紀はそれで、熱狂と戦争と反体制というイデオローグが全体を動かして限りないほどの「輝き」を喪失し、見事に破綻したのだと観るべきだ。そういったひどい時代の中で、固有で孤独な生を営んだ者に、眼差しをむけると多くの示唆がある。決して合理的でなく、普遍性もなく、歪でもあり、しかし辿り着いた答えではあるという一つの結果を、あらゆる拘束を離れて、個人の名の下に生みだすことが、前述した「描く」ということであると思われてならない。
以前より幾度か試みていた「名前」に関する作品化をはじめて発表することにした。存在に一番近い形態が「名前」であると諭す人間もいる。確かに、子供が産まれて命名する時に途方に暮れたことがある。馴染みのない「名前」も様々な状況で繰り返され、その実体である人間を示し示されることで、名前は人間にとって言葉とか音以上に、人間の本質を携えて機能しはじめるものだ。だが、今回の作品は、単に複数のアウトラインだけのフォントを幾度か重複させたグラフィックで、どこにでもあるようなデザインとしても眺められる。私は、ひとつひとつの名前を繰り返しながら、何度もその人間の部分に迫り、時には生涯を重ね、また発音していた。私にとっては特殊なアプローチがあった人間であっても、その名前を知らない人間にとっては意味がないかもしれない。だが人間の存在の意味はそういうものだ。
私の仕事が、新しい「表現」を行っていると勘違いされると困る。指先に眼差しを与え続けているにすぎない。この眼差しがいつか、子供達の未来に陽炎のようにでも届けばいい。だが戦略はある。その戦略とは、だからこういう眼差しによって生を営むためのものそれ以外ではない。
個展に関するメモ February 2002年 




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