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<title>Loss of attribute</title>
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<![CDATA[<p>anti belongでもよい。属性を持たない。カテゴライズされないこと。が、つまりこの指向のはじまりと果てにある。<br />
匿名性というものと違う。名前が無いという特徴でもない。<br />
開かれてあるが、名付けようがなく、印象としては切り詰められている。<br />
この場合の印象のストイックさは、本質的なものではなく、眺めの立場からの「与え」のようなある種の決定となるから、どうしても錯誤する部分が生まれる。故にこの「与え」への信仰めいた、祈り、あるいは直覚しか、この設定を持続する術がない。<br />
属性を持たない光景という見いだしは捉えどころがないが、「よいもの」「わるいもの」「関係を促すもの」「記憶と符号するもの」「わくわくするもの」「妙で不自然なもの」といった事ごとを排他する力がなければ、様々な属性に取り込まれてしまう。注視を促すのは、その排他の力を認めざるを得ないところからはじまる。</p>

<p>寓話や物語で人間を描こうとするとき、間違った作家は、人間をその外見と内面を物知り顔で捏造して失敗する。我々には捏造などできないからだ。よくわかっている作家は、人間を捏造するのではなく、言い難い光景として人間をそこに置くことしかしない。</p>]]>

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<title>pragmatism</title>
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<modified>2008-10-31T14:10:01Z</modified>
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<![CDATA[<p>観念的な理念は、どれをとっても明快であればあるほど、どうも強要の滲みがあるので、事象に即して具体的、即物的に考える立場、プラグマティックな態度に現実を踏破する力があったし、自身もそのように考えることが多かった。プランBという代案があるプランは、時代によっては、プラグマティックだったが、現代はどちらかというと、プランという理念形態自体が疑わしい。<br />
批判、批評の根幹には、環境結果の有効性の俯瞰分析があるが、現実断片のフラクタルな内向性には、時にその視線を蒸発させる力が秘められる場合がありだから面白いのだが、人は気づかぬうちに、倫理の彼岸を超えてしまって、振り返るようにする仕草が、唐突な吃音に守られて、饒舌の背景として、巷に溢れ出ている。<br />
疲弊した眼精疲労が目元をあやしくさせ、文字が翳むような時を迎えるようになって、壊れつつある身体のプラグマティズムと、壊れるようになったからこそ掴んだ手元の感触と、どちらを選ぼうかと迷うことも失せたようだ。<br />
滑稽な逆さまを、愛でようかなと。</p>]]>

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<title>見る</title>
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<modified>2008-10-09T05:58:23Z</modified>
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<![CDATA[<p>そもそも絵を描くことは、見る事ではなかった。石膏像や風景を描く時も見ていたかと聞かれれば、頷くことはできない。見ることよりも筆と絵具が目の前で混じり合っていくことに夢中になるしかなかったように思える。<br />
絵画の行程を重ねる手法が構造化されても、そこには見ることがぽつんと抜けていなければ、先に進めなかった。見ながらつくるというのは、だからありそうでなかなかないのかもしれない。俗にいう盲目的に取り組まねばならないわけだ。見ると、その「みつめ」が身体の他の機能を抑圧し、全身が網膜のような吸収体になってしまい、他になにもできなくなる。<br />
レンズの与える光景には、こうした「見る罠」が仕掛けられていて、わたしは、まんまとこの罠にはまり、おそらくただ見る時間を人生の多くに費やしている。見るというのも、そこに何があるとか、何処であるのかとか、色はとかという、認識へ戻るために「見る」ではなくて、あるいは、美しいと感動する「見る」でもなく、言葉にできない、いい知れない現実を目の前にしている圧倒感を、漫然と見ているにすぎない。辛うじて率直な意識を添えるとしたら、それは、「これは一体なにか」という答えの無い問いにしかならない。<br />
困ったものだ。<br />
レンズを向ける時は、だから見ているとは言えない。レンズが残したものを、「見る」ことが、一際、おそろしくて甘美であるのは、この罠の中毒になっているからだろう。<br />
見る光景が、すべて懐に落ちる記号によって仕上げられていると、なかなかこういう巧妙な罠にはなり得ない。</p>]]>

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<title>理解</title>
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<modified>2008-08-20T03:58:04Z</modified>
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<summary type="text/plain">わかるには、判る、解るなどあり、わかるとは理解とされるが、私は理解とは何かいまだ...</summary>
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<![CDATA[<p>わかるには、判る、解るなどあり、わかるとは理解とされるが、私は理解とは何かいまだにわらない。これも矛盾した意識だ。<br />
職業柄、こちらの差し出したモノが「よくわからない」と困惑の表情で詰め寄られることが少なくないので、そんなことが度重なると、とてもよくわかる構造を改めてもてなすか、そうした問いを無視するかの二択しか選択枝がないので、私の場合、説明を控えるほうに回ってしまう。相手は「わかる必要などないのだ」と含み入れる場合はよいが、「どうしてわかりやすいものにしないのか」へ針が振れると、再提出を促されることになる。</p>

<p>共有・共感が前提となる例えば「愛の唄」のようなものに、こちらが関心があったとして、もてなしの構造で「愛の唄」を創り上げるというコト自体への興味が私にはないので、おそらく私のつくる「愛の唄」は、普遍性のある愛の唄でないもの（「愛」とは何か？）になってしまうだろう。<br />
わかりやすいということと、明快であることは、似ているが全く違う現れであり、目の前に、異星人を目撃するようなものだ。どうしようもない異形をはっきりと見つめながら、全く理解できない。<br />
だが、人も個体であるので、この明快さのトリックを本来的に持っており、言語の理解し合えるという幻想に酔うように生きているといえる。</p>

<p>恋は理解できないモノへの憧れでもあるかもしれない。理解したと錯覚した途端、恋の熱も冷めるのだろう。</p>

<p>日々日常の目の前の出来事を撮影記録し、記録した景色を再度確かめるということを続けていると、世界は、こちらの理解できないモノと解釈したほうがよろしいと思うようになった。思うようになったのか、そんな予感があって始めたコトなのかは、もはやどうでもよろしい。こちらの意識で勝手に組み立てた概念の伽藍に組み入れられる事柄であれば、「わかる」ともいえるが、ほとんどの光景は、個体の数十年の脳細胞の稚拙な構造には、入りきらない豊穣さに満ちており、ほぉと溜息をついて途方に暮れるしかない世界が明快に目の前に顕われている。<br />
言葉を失うしかないのだが、この現象はヒトという個体にとって普遍性があると最近、そうした歩み寄りの観念の構築を愚鈍に行うしかない立場をあらためて思い知った。</p>

<p>私にとって成熟とは、決して今風の「もてなす」ことの成就ではない。「持て成す」ということは、例えば茶道の場合、様式にのっとって客人に茶をふるまう行為を示す。元来、茶を入れる所作に、生きていく目的や考え方、宗教、茶道具や茶室に置く美術品などが含まれ、逃げも隠れもできない狭い空間で、相手に対峙し自身の態度の提示の形態であったはずであり、緊迫した仕草であったはずだ。現代は、間違って使われている気配がある。<br />
緊迫した対峙を示すことは、相手に対して、理解や共感を求めることと正反対の意味があり、つまり、私はこうであると示すことでしかない。</p>]]>

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<title>此処と其処</title>
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<modified>2008-08-16T01:09:27Z</modified>
<issued>2008-08-15T05:28:37Z</issued>
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<summary type="text/plain">1984年に、「こことそこ」というものを書いた。 個体の感覚器官の届く範囲と、そ...</summary>
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<![CDATA[<p>1984年に、「こことそこ」というものを書いた。<br />
個体の感覚器官の届く範囲と、その外部と境界に関する漠然とした幻影を、理論的に纏めることが出来ず、中途から幻想小説風に誤摩化したエッセイだが、指導教授から、筆勢が良いと見当違いのような評価を頂き、口を開けたまま、その時は首を傾げ言葉を失っていた。<br />
選んだ原稿用紙に、選んだ万年筆で清書した20枚程度のものだったが、今となって考えると、なかなか本質的な指摘だったと頷く事ができる。<br />
エッセイにおける筆勢という表象は、つまりここでもそこでもない現れで、言説の示す事の、見失いがちな可能性のひとつであり、送り手自体予期しない、個体表情が明晰に顕われる、「迂闊」な姿勢、態度となる。<br />
同じ頃、Saitoという友人が、冷笑的に皮肉が絶えず挟まれただろうこちらのさまざまな言葉を日々受け取ってくれていたが、ある日、お前は首を突き出して筆を持って絵を描いている時が、一番良い表情をしていると指摘した。この時も、何を言っているのか考えず、お前は黙っていろということか、少々五月蝿いのかなと、自身の未熟な観念の放出を押さえようとはしたが、これも、筆勢の指摘と似ている。<br />
つまり、往々にして本質的な自身に気づく(目撃する)のは他者であり、その眺めは、本人の気づかない背中の色のような種類であり、おそらく内省的な過酷な時間を長く過ごしても、見えないモノは最後まで見えない。<br />
今となって其処に見えるのは、他者性としての自己であるかもしれない。つまり自明であった筈の此処(私はこうである)を諦め、放棄し、可能性としての其処へ辛うじて繋ぎ止められることだけで充分とすると、此処を限定させる枷がなくなり、自由にはなるのだが、実体のない霊のような心細さが膨れる。これからはこの侘しさとの闘いなのかもしれない。<br />
そう考えを繋げると、やはりこちらを迂闊に曝け出す筆よりも、カメラが最適なのだとわかる。</p>]]>

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<title>奥の細道</title>
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<modified>2008-08-15T05:28:12Z</modified>
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<summary type="text/plain">を子規が辿ったように、こちらもとぼんやり考えたのは、北九州小倉ののビジネスホテル...</summary>
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<![CDATA[<p>を子規が辿ったように、こちらもとぼんやり考えたのは、北九州小倉ののビジネスホテルの中だった。まさか、芭蕉の足取りをそのまま追うつもりはなかったが、移動に伴う出会いによって自らを率直に反応させるというのは、諸処の人の事情を鑑みるとなかなか潔いと思えた。<br />
旅の観光という目もあり、見知らぬ土地を歩く事を経験に照らし合わせ符号を探すなどして、新たな記憶の組み合わせに落とす目もあり、ただ新鮮さを受け止める目もあるが、道を行く、時空を訪ねるという歩行を、当惑という他者の目撃の手法に簡潔させ、カメラが移動する為だけに身体を機能させる。よたよたとはじめていた。<br />
同時に、時空に対する当惑を、場所における百年の文脈の認識を併せ持つようにすることで、この眺めの移動に、余計なモノを呼び込まない結界となるのではと、見える場所の見えない過去を当惑の理由にすり替え、逆説的に対峙のスタンスの情緒的、気象学的気分の変化の抑制へ作用させる鍛錬を反復に含ませることにした。<br />
くよくよと振り返りつつ行う反復は、それ自体が景色を求めるというより、計画の余白に顕われる自身の立ち位置を研磨するように磨きだす修練じみた。骨に染み付いた嫌らしい仕草を切り捨てるには、修練で知った水平と垂直のみへの信仰に似た依存で済むかもしれないと思い始めたが、この時、丸いレンズと四角い受像イメージとの機能的な理論のズレが、この十字の戒めに逆らったものであるため、ふたたび頭を抱えるのだった。</p>]]>

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<title>思えば</title>
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<modified>2008-07-23T07:41:57Z</modified>
<issued>2008-07-23T02:32:15Z</issued>
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<summary type="text/plain">思えば</summary>
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<![CDATA[<p>1984年に、韓国の3都市(釜山、慶州、ソウル)を回ってからヨーロッパ(アテネ、ベネチア、ミラノ、ウイィーン、ジュネーブ、ミュンヘン、ケルン、アムステルダム、バルセロナ、マドリッド、パリ、ロンドン)を1ヶ月かけて急ぎ足で巡る大学の研修旅行の際に、ドーモなどを収めるには35mmがいいだろうと一眼レフ（ペンタックス)を買った。それまでの作品撮影は全て友人のSuetsuguに任せきりだった。1987年の渡独には、当時開発が急ピッチで行われていたハンディカムと小型液晶モニターを持ち込み、写真よりも映像を撮影したが、80年代後半は一眼レフを旅先に持ち込んで、撮影写真が作品の一部を成す制作発表をしている。1990年に入って、友人のKurosawaから、所帯を持った祝いに貰った125ccのカワサキオフロードバイクを乗り回してから、彼に黙って売り払い、その金で中古のゼンザブロニカSQ6x6を手に入れ、中型の描写力に傾倒し現在まで続く歩行撮影をはじめた。機種はそのうちペンタックス67に落ち着いたけれども、90年代の撮影機の開発に煽られて、様々な受像機とレンズを使い、膨大なポジフィルムを一度映像にコンバートしている。<br />
すべてフィルムカメラであったから、世紀が変わって、デジタルが台頭した当時は、所詮デジタルはフィルムの解像度にはかなわないと、懐疑的な姿勢は変わらず、フィルム会社が閉鎖に追い込まれても、マミヤ７を肩にぶらさげ、ニコンのマニュアル機を新規購入している。<br />
フィルムの現像からプリントという、出来上がってからはじめて撮影時の結果を知る「光景の時差」を抱える写真の制作行程は、時に錬金的な手法の介在が可能であったから、レンズと受像機の性能ばかりでは片付けない語り口の横行にも頷いて、そうした仕草をトータルに纏うシルバープリントの純血を信じる時もあった。</p>

<p>時差が無いとは一体どういうことだ、首を傾げながら廉価な初期型小型デジカメLUMIXを試すとプロダクトとしては最悪だった。が、データの扱い方は勿論、撮影態度までがまるで変わり、幾つもの神話を難なく破壊するデジタル撮影の、「写真」というコンテクストへの切断力には大いに惹かれたのだった。各メディアの、「写真」を扱う環境もデジタルへ大きく変革された現在、デジタルカメラは平均的な記録受像器となったが、デジタルによってむしろ「写真」の根本的な性格が露になり、目の前が簡単に而も正確に記録されてしまうという、カメラオブスキュラ出現時の、「当惑」が再来しているのだと考えるに至る。</p>

<p>デジタル撮影のデータと身体の「無関係」さというより、近視眼的に詰め寄っても肉体的には理解できない仕組み(0,1)の彼岸が、逆にこちら側の岸である「此岸」として新しい歩行を与えてくれている実感があり、できるだけ錬金術を挟まぬ態度で、月周回衛星かぐやの姿勢を師と仰ぐ撮影歩行をひとつの思想と捉えはじめた。</p>]]>

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<title>豆とろがん</title>
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<modified>2008-06-11T20:04:13Z</modified>
<issued>2008-06-11T16:20:24Z</issued>
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<summary type="text/plain">帰省した折に、母親が近所の畑で採れた頂き物のグリーンピースをどっさり塩茹でしたも...</summary>
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<![CDATA[<p>帰省した折に、母親が近所の畑で採れた頂き物のグリーンピースをどっさり塩茹でしたものを、飯も喰わず酒のつまみに一晩で腹に入れていた。東京へ戻り、低気圧のせいか食欲が芳しくなく、珈琲を流し込んで数日机に向かい続けた週の半ばに、近くの店で豆を大量に買い込んだ。既に茹でてあるそらまめのパックと、生のそらまめと、栃木産のグリーンピース４パックを買い物かごに入れ、紹興酒を2本放り込んだ。こちらの籠を覗き込んで、ー豆かぁーと呟く若いサラリーマンの声が肩越しで聞こえた。<br><br><br />
梅雨前に、手探りで観念を仕草に解体し、行為を確認しながら、事後の経緯を再び観念で縛り上げるといった計画を実行することができた。結果、当初想い描いていた小さな蛍の光のような形は提灯の灯りほどに膨れたが、その輪郭はまだ暮夜けている。通勤の地下鉄や買い物の帰り道で浮かんだ「路眼」（ろがん）という括りが、どうやら、自分の幼少から抱えていた「当惑」に重なり、然し、この当惑への気概という、時間を超えて果てしなく延長される奇妙な精神の傾向自体が、おそらく「私」を説明することになる。傍観の感触で捉まえた。<br><br><br />
裸眼という言葉の響きが、りがん（離眼）ーるがん（流眼）ーれがん（列眼）ー「ろがん」と、ラ行を転がって停止した。果たして、この観念は、普遍性を持ち得るかどうかわからないけれども、ふと気づくようなものとして、意識に広がるような期待はある。<br><br><br />
昨今「あさましい」と感じる大人の仕草ばかり目について、こちらも歳だと我に返ればそれで終わるが、まだ青年の頃、そういえばこの「あさましさ」の排除を、日々骨に染み込ませていたと憶いだした。あの頃、優秀な人間の顕われに出会う度に、なんとまあ「謙虚」で、「抑制」されているかばかりを、そこに見いだすことが、こちらの目的のようでもあった。今考えればこれは単純な差異の問題であり、時代の傾向もあった。謙虚で控え目にと教条化するオチは、現在でも至る所に転がっているが機能していない。固有な「欲望の質」が、機能することを、徹底して解析し、その徒労を展開する以外に無いのではないか。だが、この徒労が「あさましい」とやりきれない。眼を剥いて注視する事自体「あさましい」行為ではある。</p>]]>

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<title>震える静止</title>
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<modified>2008-04-10T18:27:06Z</modified>
<issued>2008-04-10T18:08:34Z</issued>
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<summary type="text/plain">震える静止</summary>
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<dc:subject>essay</dc:subject>
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<![CDATA[<p>この季節、幾度も繰り返し夢の中や、歩行の最中の振り返って見下ろした自身の影に、静物画のように停止した静止画像がワナワナぶるぶると震える幻視が現れて、その度に視力の萎えた瞼を押さえ込むように手の甲でごしごしと擦り、人差し指の背で目玉を揉んでいた。<br />
重ねて、遠い過去の捏造した物語が克明に映像として語られる夢の中で、会ったこともない饒舌な友人と、こちらのきちんと片付いた独り住まいで酒を酌み交わしていた。友人の差し出した好きな女の写真は、まるで老人が数十年の間、懐で大切に仕舞い込んだように古ぼけており、突然現れた客の姿の、これも見たこともない男が、私のファイルを捲って、<br />
「君はへたくそだなあ」<br />
と示した作品は、すべてセメントの棺であり、つくった覚えも無い筈の私は、懸命に説明をしている情けない情景が、これも時々停止した静物画のように移ろいを失った。<br />
久しぶりに会う人が変わらずに旺盛で健やかであり、その照応としてこちらはどちらかというと萎えている自覚が増すことが、これも年齢を重ねることだと振り払うより抱き寄せるようになったと、桜の花びらの落ちる中ぼうと考えていた。<br />
ぶるぶるとわなわなと震える静止画像は、どうも女性のようであり、それが一体誰なのか判然としない。こちらは無人の街に眼差しを向ける傾向があるので、この「判然としない女性」へ眼差しを向ける為の手法を考えることを、どこかの誰かが促しているような気もするのだった。</p>]]>

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<title>何も変わっていない</title>
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<modified>2008-02-28T19:17:59Z</modified>
<issued>2008-02-28T18:16:28Z</issued>
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<summary type="text/plain">何も変わっていない</summary>
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<![CDATA[<p>26年前の1982年の冬、私は鬱だった。前年の12月から3月までの冬の間、八王子の椚田という京王線、山田駅から坂を下り、北野街道の南側に流れる小さな川沿いのアパートの2階のワンルームに籠って本を捲り、読むものがなくなると古本屋まで出かけて手当り次第に手提げに入れてまた部屋に戻ることを繰り返していた。アパートの前には魚屋があって、近くにコンビニ等なかったと記憶している。春になってようやく大学の友人と会い、俺は悟ったなどと呟いていた。<br><br />
たいして生きていなかったくせに少し前の過去を「捏造の日々」と嫌悪し、自分を捜すというよりも、できるだけ自ら離れるような自虐を愛すようになっていた。読書はだから身を捨てる行為に近かった。御陰で世界が眺めの塊となって隕石の落下のごとく身の回りに落ち続けるので、幽体離脱し、燻るそれぞれのクレーターに近寄るだけで世界の痕跡に同化できた。今思うとあの時の同化の力には、狂気じみた勢いがあった。<br><br />
あの頃の無謀を振り返りたいのではない。あの時に経験しはじめた眺めの質がいつの間にか骨のあたりに原爆の影のように刻印され現在迄それが作用している。年齢を重ねて、老いつつある体から逃避して再び幽体離脱し、他者へ身を投じようというのでは勿論ないが、世界そのものの力を畏怖しつくづく途方に暮れる眺めというものは、実は私そのものであり、肉体でもあって、人間性の傾向という普遍と違った、あるいは行動のカテゴリアルなある種でもない、非常に固有な知覚かもしれないということだ。そう考えないと、つまり選択する力の生まれる根拠が見当たらないし、この選択の力は成熟している実感がある。<br><br />
1993年にも同じような鬱が訪れている。ポジフィルムをルーペで眺めてはカメラを持って出歩くことを恢復歩行と呼んだことも、自らが病にあったことを示している。</p>]]>

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<title>BABEL</title>
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<modified>2007-12-22T07:34:52Z</modified>
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<![CDATA[<p><a href="http://www.paramountvantage.com/babel/">BABEL</a> / Alejandro González Iñárritu(1963~)<br />
世界をあるがままにみつめるとその光景は全て儚く哀しい。誰も悪くないのだから。<br />
人間の営みの全てには文脈があり、そのすべての文脈にはそもそも「悪意」は存在しない。構造の抱える問題で、時としてその錯綜が軋むだけなのだということ。この構造がBABELであると考えた。1963年生まれの監督の思想には、20世紀を短絡的に席巻した善と悪の二項対立の束縛を厳しく戒める新しい世紀の倫理が横たわっている。<br />
物語は、いかにも現代的な環境で正当性を持ち得る人間が、ささやかな綻びを抱えているに過ぎない。地域や環境の差異を呑み込んだ上で、等しく併置し、どこにでもありそうな繋がりを示すだけで、こうも警鐘を鳴らす響きを持つのは、監督の眼差しの新しさなのであり、これは固有に自立したスタンスでありながら、Gus Van Sant、Li Yiyun、David Benioffなどと重なり、以降の世代を牽引する。<br />
次世代にこの大きな「哀しみの現実」を遺すことには、大きな意味がある。<br />
今後変わっていくだろう物語が顕われた時、そのきっかけはBABELだったということになる。</p>

<p>未熟で過剰な情報都市の象徴＝Tokyoに棲む聾唖の娘、人殺しと背徳の覗きが等しいモロッコの貧しい兄弟、砂漠に放り出された幼い兄妹、Iñárrituは子供たち向かって頭を下げ、わたしにはこうすることしかできないと謝罪しながら、包み隠さずに世界を見せようとしている。</p>

<p>ー<br />
バベルの塔の記事は旧約聖書の「創世記」11章にあらわれる。位置的にはノアの物語のあとでアブラハムの物語の前に置かれている。そこで語られるのは以下のような物語である。<br />
もともと人々は同じ1つの言葉を話していた。シンアルの野に集まった人々は、煉瓦とアスファルトを用いて天まで届く塔をつくってシェム（ヘブライ語、慣習で名と訳されている。名誉・名声の意味も有る）を高く上げ、全地のおもてに散るのを免れようと考えた（偽典の「ヨベル書」によれば、神はノアの息子たちに世界の各地を与え、そこに住むよう命じていた）。神はこの塔を見て、言葉が同じことが原因であると考え、人々に違う言葉を話させるようにした。このため、彼らは混乱し、世界各地へ散っていった（『創世記』の記述には「塔が崩された」などとはまったく書かれていないことに注意）。「創世記」の著者は、バベルの塔の名前を「混乱」を意味する「バラル」と関係付けて話を締めくくっている。<br />
原初史といわれ、史実とは考えられないアブラハム以前の創世記の物語の中で、バベルの塔の物語は世界にさまざまな言語が存在する理由を説明するための物語であると考えられている。と、同時に人々が「石の代わりに煉瓦を、漆喰の代わりにアスファルトを」用いたという記述から、古代における技術革新について触れながらも、人間の技術の限界について語る意味があると考えられる。<br />
ーwiki</p>

<p>日本語公式サイトレビューにてまともな感想を述べたのは、女優の鶴田真由のみ。</p>]]>

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<title>方法をめぐって</title>
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<modified>2007-06-28T08:28:55Z</modified>
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<summary type="text/plain">方法をめぐって</summary>
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<![CDATA[<p>ー<br />
「方法」という言葉には、とりわけ注意深くあらねばならない。なぜなら、「方法」は、それが方法として在るところには、きまって存在しないからである。二流の精神が受け取り且つ応用するような方法は、すでに「方法」ではなく形骸にすぎない。「読む」ということは、いわば「方法」を読みとることだといってもよいほどである。<br />
（中略）<br />
小田切秀雄がかつて批判し、小田実がその後もっとも愚劣なかたちで批判した「内向の世代」は、あえていえば、こういう内向的条件だけを対象化しようとしたのであって、そのことが不毛なことは先験的に明らかだとしても、それに対置さるべきものはない。ただ「内向の世代」の文学を、”内側から”突きぬけるほかには。<br />
（中略）<br />
古井由吉はかつて大江氏のような都市インテリの自意識をカッコに入れて、いわば中世的な”私”の意識をめぐって、共同主観的な構造ー言語学・神話学・人類学的なーにいたろうとした。「内向の世代」の画期性はそこにあったが、それはあくまでも「私」の意識にとどまっている。中上氏はおそらくより内向的な作家として徹底し、あたかも”私”そのものが破壊されたかのような逆説的相貌をもってあらわれたのである。むろんこのような内的関係は、たんなる「対立」の外形によって隠されてしまっている。<br />
私が明確にしたいと思うのは、さまざまな作品が相補的に助け合い戦後の文学を構成しているとか、すべてダメだという、いかがわしい共時性や党派性ではなく、それらの差異であり関係である。「差異」のみが歴史性の根拠である。<br />
ー<br />
方法をめぐって/　柄谷行人より抜粋</p>]]>

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<title>特異な境界</title>
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<summary type="text/plain">1960年にカラーテレビが発売されたから、TVが家庭に均等に配置されたのが、19...</summary>
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<![CDATA[<p>1960年にカラーテレビが発売されたから、TVが家庭に均等に配置されたのが、1960年代後半と考えてよろしいとすると、それまでとそれ以後で、人間の精神形成の決定的な変化があったと考えられる。一方的な情報の提供を無意識的に享受する「テレビ以降」の人間は、日々共有する情報で生存域を拡張し、立場の差異（出自・系譜）を解消したとも云える。高度成長がこれに率直にリンクする。<br />
「テレビ以前」の人間には、玉音放送で知られるラジオという情報デバイスがあったが、情報量として充分なものではなかったし、均一に拡張されたメディアではなかった。つまり、情報は奪取する意志において獲得するものであり、その立場にある者は限られており、無関心であり続けることも可能だった。社会も戦後の混沌期であり、均一ではなく、出鱈目も横行しただろうし、この「テレビ黎明期」は、世界的にみても、言語学的にみても、戦争よりも著しい変化の境界となって、それ以前とその後の社会を決定的に異なるものにしたと考えていい。</p>

<p>ーフランス語のTelevision（テレヴィジョン）、TVに由来し、teleは「遠く離れた」visionが「視界」の意味である。ーwiki</p>

<p>「テレビ以降」の高度成長期を、「テレビの出現」の驚きを持って過ごした世代と、私を含めた「テレビのある家庭」が当たり前の世代が、ほんの数年の出生範囲で居て、所謂昨今社会離脱の件でもてはやされる団塊の世代には、どちらかというと、そうした驚きの残滓があったように思われる。つまり彼らは、「テレビ以前」の差異に満ちた、闇が横にある世界を舐めた記憶のある最後の世代であり、以降の楽天的な安易な共有感覚と共に、彼らにははなにか秘密めいて孤立するしかない差異世界を覗いた感覚をも抱き続けていたと云えるのではないか。<br />
こちらにしてみれば、団塊の世代が学生運動に走る姿自体滑稽であったし、アメリカに翻弄されるサブカルチャーそのものも、テレビ番組の中にインストールされたコンテンツとして薄っぺらに眺めていた。ただし、当時の大人社会はまだ黒々とたっぷりとした闇をたたえていた。</p>]]>

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<title>ほとんどの</title>
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<modified>2007-06-06T20:20:15Z</modified>
<issued>2007-06-06T19:38:56Z</issued>
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<summary type="text/plain">ほとんどの</summary>
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<dc:subject>note</dc:subject>
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<![CDATA[<p>イメージ（視覚的像）は、非肉体的な構造（近代的ツール）の引き起こしたアクシデントとして、結果だけを人間の前に顕すから、結果をあらかじめ、恣意として動かす時、それは恣意と同時に用意された引き出しに仕舞われるしかない。<br />
嚔で引き金が引かれた、不本意な発射という銃もあり、そこから始まった悲劇は、都度新鮮すぎるのであって、経験的倫理の内に説明することはできず、ただ引き起こされた環境のその後の描写という罪を意識で背負うことしかできない。<br />
カメラも、見る事の装置という短絡よりも、銃の引き金と同様、偶発的なシャッターの瞬きによって、世界の現実併置が記録されてしまうのであって、それを意味深に、人間的な方向へ（これは絶えず過去へ向かう）ベクトルを与えることは間違っている。<br />
ただし、言葉が物語によってしか、道具として生成成熟しないように、カメラという装置が残す写真というイメージも、夥しい量の果てに、洗練することもあるが、それは恐らくイメージの美的な洗練ではなく、人間の見るという能動的な欲望の眼差しが空間に充満するような、レンズと像の定着のクオリティーの洗練であろうし、それによって、「見えること」の肉体感覚も変化せざるを得ない。<br />
写真はだから、匿名性というカメラの構造が、撮影者という恣意を打ち消す、原子爆弾のようであるべきなのかもしれない。そして近い将来、記録された画像から、考古学のような解読の技術が注がれることで、まるで琥珀と同質の鉱物の性格を新たに纏うだろう。<br />
数百万画素とデバイスの開発を誇るデジタル画像が、進化すればするほど、これまで無頓着だったフィルムのクオリティーにようやく気づくという、変換（コンバート）の黎明期にいて、現象の世紀であった２０世紀の、現在からみればささやかすぎるイメージの記録総量に、悔いる時がくる。<br />
写真のルネサンスは、報道、ドキュメント、記録、広告、といったカテゴリーを一掃した、構造原理主義に似た形で訪れる筈であり、その時は、夥しい量のイメージをデジタルであれ、フィルムであれ、歴史化しソートし再解読する手立てが整ってからでないと始まらない。</p>

<p>だから、絶句する「写真」を事故として、瞬きしてしまったメラを持つ人間が、新しい倫理的な写真家となるのではないか。そしてこの場合の写真作品はアートとは無関係であり、むしろアートを切断し無効にてしまう力を帯びなければつまらない。</p>]]>

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<title>記録する道具の逆転</title>
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<modified>2007-06-06T19:38:30Z</modified>
<issued>2007-05-30T03:50:55Z</issued>
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<summary type="text/plain">記録</summary>
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<email>individual@machidatetsuya.com</email>
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<dc:subject>note</dc:subject>
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<![CDATA[<p>並べ替え（ソート）整理する「ライブラリー」化という意識は、航路と羅針盤から植民地というテリトリーの拡大によって、３００年ほど情報を拡大成熟させ、博物学は動物学・植物学・鉱物学・地質学などに細分化され独自の方法論を展開するようになった。<br />
ピラミッドなどの、都市国家建設にも、「記録」という似た思想が働いている。人間の構想力が、生産するという剰余にイコールされ、物事を生み出す事は加算上書きするイメージがあった。<br />
稚拙な積み重ねが時間と平行して消化されているかの速度は、まだよかったが、唐突な事故性を孕む道具が溢れる事によって、意識は遅延して、弁証的な観念を産むことになる。</p>

<p>銃もカメラも、そうした意味で、理念（イメージ）を先行しない。むしろ非人間的な事故性を先鋭に持つ。<br />
</p>]]>

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