June 28, 2007

方法をめぐって


「方法」という言葉には、とりわけ注意深くあらねばならない。なぜなら、「方法」は、それが方法として在るところには、きまって存在しないからである。二流の精神が受け取り且つ応用するような方法は、すでに「方法」ではなく形骸にすぎない。「読む」ということは、いわば「方法」を読みとることだといってもよいほどである。
(中略)
小田切秀雄がかつて批判し、小田実がその後もっとも愚劣なかたちで批判した「内向の世代」は、あえていえば、こういう内向的条件だけを対象化しようとしたのであって、そのことが不毛なことは先験的に明らかだとしても、それに対置さるべきものはない。ただ「内向の世代」の文学を、”内側から”突きぬけるほかには。
(中略)
古井由吉はかつて大江氏のような都市インテリの自意識をカッコに入れて、いわば中世的な”私”の意識をめぐって、共同主観的な構造ー言語学・神話学・人類学的なーにいたろうとした。「内向の世代」の画期性はそこにあったが、それはあくまでも「私」の意識にとどまっている。中上氏はおそらくより内向的な作家として徹底し、あたかも”私”そのものが破壊されたかのような逆説的相貌をもってあらわれたのである。むろんこのような内的関係は、たんなる「対立」の外形によって隠されてしまっている。
私が明確にしたいと思うのは、さまざまな作品が相補的に助け合い戦後の文学を構成しているとか、すべてダメだという、いかがわしい共時性や党派性ではなく、それらの差異であり関係である。「差異」のみが歴史性の根拠である。

方法をめぐって/ 柄谷行人より抜粋

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December 19, 2005

歴史の反復について


たとえばドイツ人は、いまのドイツの憲法は占領軍によって押しつけられたとはけっしていわないでしょう。なぜかというと、そういう論理を第一次大戦後に使ったことがあり、その結果、何が起こったかを知っているからです。それに比べて、日本人は初体験だから、もしかすると、もう一度失敗しないといけないのかもしれない。だから、最初に述べた話に戻っていうと、私は湾岸戦争以後、日本は近いうちに憲法九条を放棄して戦争に参加するだろうと予想していました。ただ、その結果痛い目にあって、戦後60年にあたる2005年にはあらためて戦後の憲法九条の意義を確認するということになるのではないか、と。そういう「自然の狡知」を考えていたのですが、実際にはそうならなかった。
 しかし、それが先延ばしになり今後に悲惨なことがおこるとしても、結局、憲法九条を確認する時期は必ず来ると思います。そして私はアメリカでも、ベトナム戦争後にアメリカ人がもった「超自我」が戻ってくると思います。その時点では、アメリカ人は世界最初の核戦争にかんして、自分たちが広島、長崎に行ったことに対しても反省すると思います。そして、その時にこそ、国家の主権の放棄ということが起こると思うのです。そのような歴史の見直しが必ずそう遠くない未来にあると思います。ー
近代文学の終わり/第二部国家と歴史/歴史の反復について/柄谷行人より抜粋

posted by machidatetsuya : 03:26 PM | comments (0)

December 01, 2005

重森弘淹(1926~1992)

ーもしそうだとすれば、カメラは眼以上に見るものとして、眼とはちがった見方をするものとして、人々は期待していたわけになるが、もちろん、当初はそのことに、人々は当惑もしたのであった。しかし、現実的にカメラは、視覚のうちに入らぬものを可視の世界に引き入れ、また純粋に見ることで、存在の純粋客観性に気づかせた。意味される以前の存在を発見したのである。そのことによってカメラというもうひとつのまなざしは、もともとのまなざしに、ひとつの衝撃を及ぼしたといえるだろう。
つまり<見る>ことが、肉眼に所与のものとしてだけ自覚されている間は、まだ<見る>ことの意味はそれほど明らかなものではなかった。平素、見て終わるだけのものが、写真となって見えるものとなったとき、言い換えれば見終われば消えて行く世界を、もう一度見ることによって、まなざしの対象化が可能だと発見したのである。このとき、見たものをもう一度見ることで、新しく見えるものを発見し、あらめてまなざしの重要さを、自覚したといえるだろう。カメラ・アイは人間のまなざしと主体的な関係を確立する契機を発見したということができる。ー

物質の眼のリアリティー4/(1977脱稿)Koen Shigemori 重森弘淹(1926~1992)より抜粋

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July 15, 2005

古井由吉論

古井由吉論/高沢公信
古井由吉復刊特集ページ
古井由吉作品一覧/紀伊国屋書店
古井由吉絶版・・
古井由吉のページ
この純文学がすごい!
すばる文学カフェ 作家による自作朗読会
ロベルト・ムージル / ウイキペディア

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July 08, 2005

Stalker / About the production

Tarkovsky had been assigned a large budget for Stalker, in order to match the success of his previous science fiction film, Solaris. The idea was that the Soviet Union should show that what Hollywood could do, the Russians could also do. The Strugatsky brothers had written an extensive script with several special effects based on their novel Roadside Picnic.
Tarkovsky responded by immediately removing all the sideline stories, and all special effects from the script. He thus restructured the whole story to be about one single philosophical subject from the original story: if you could have your innermost wish fulfilled, would you actually want to? The story was also rewritten into a very intense drama involving only three people.
The central part of the film was shot in a few days at a closed and deserted hydro power plant at the river Pirita in Tallinn. When the team got back to Moscow, they found that all the film had been improperly developed, probably because of problems at the laboratory. The photographer, Georgi Rerberg left the first screening session and never came back. Thus they had to go back and film the whole thing once again, now with Aleksandr Knyazhinsky as principal photographer. The weather was considerably colder by then, and the pain and frustration displayed by the actors is sometimes not a case of acting. According to sound engineer Vladimir Ivanovich Sharun these conditions might have even contributed to the early deaths of many of the people involved in the production.
It is believed that the events of the 1957 Chelyabinsk accident and the creation of the several hundred square kilometer "zone" outside the reactor [1] may have partially influenced the production of the movie. The explosion at Chernobyl seven years later is a rather circular moment in life imitating art imitating life. In fact, the remaining workers there refer to themselves as "stalkers" and the area they work in around the damaged reactor as the "Zone."
by Wikipedia

posted by machidatetsuya : 09:49 PM | comments (0)