November 17, 2008
Loss of attribute
anti belongでもよい。属性を持たない。カテゴライズされないこと。が、つまりこの指向のはじまりと果てにある。
匿名性というものと違う。名前が無いという特徴でもない。
開かれてあるが、名付けようがなく、印象としては切り詰められている。
この場合の印象のストイックさは、本質的なものではなく、眺めの立場からの「与え」のようなある種の決定となるから、どうしても錯誤する部分が生まれる。故にこの「与え」への信仰めいた、祈り、あるいは直覚しか、この設定を持続する術がない。
属性を持たない光景という見いだしは捉えどころがないが、「よいもの」「わるいもの」「関係を促すもの」「記憶と符号するもの」「わくわくするもの」「妙で不自然なもの」といった事ごとを排他する力がなければ、様々な属性に取り込まれてしまう。注視を促すのは、その排他の力を認めざるを得ないところからはじまる。
寓話や物語で人間を描こうとするとき、間違った作家は、人間をその外見と内面を物知り顔で捏造して失敗する。我々には捏造などできないからだ。よくわかっている作家は、人間を捏造するのではなく、言い難い光景として人間をそこに置くことしかしない。
posted by machidatetsuya : 01:14 AM | comments (0)
October 09, 2008
見る
そもそも絵を描くことは、見る事ではなかった。石膏像や風景を描く時も見ていたかと聞かれれば、頷くことはできない。見ることよりも筆と絵具が目の前で混じり合っていくことに夢中になるしかなかったように思える。
絵画の行程を重ねる手法が構造化されても、そこには見ることがぽつんと抜けていなければ、先に進めなかった。見ながらつくるというのは、だからありそうでなかなかないのかもしれない。俗にいう盲目的に取り組まねばならないわけだ。見ると、その「みつめ」が身体の他の機能を抑圧し、全身が網膜のような吸収体になってしまい、他になにもできなくなる。
レンズの与える光景には、こうした「見る罠」が仕掛けられていて、わたしは、まんまとこの罠にはまり、おそらくただ見る時間を人生の多くに費やしている。見るというのも、そこに何があるとか、何処であるのかとか、色はとかという、認識へ戻るために「見る」ではなくて、あるいは、美しいと感動する「見る」でもなく、言葉にできない、いい知れない現実を目の前にしている圧倒感を、漫然と見ているにすぎない。辛うじて率直な意識を添えるとしたら、それは、「これは一体なにか」という答えの無い問いにしかならない。
困ったものだ。
レンズを向ける時は、だから見ているとは言えない。レンズが残したものを、「見る」ことが、一際、おそろしくて甘美であるのは、この罠の中毒になっているからだろう。
見る光景が、すべて懐に落ちる記号によって仕上げられていると、なかなかこういう巧妙な罠にはなり得ない。
posted by machidatetsuya : 02:36 PM | comments (0)
August 07, 2008
奥の細道
を子規が辿ったように、こちらもとぼんやり考えたのは、北九州小倉ののビジネスホテルの中だった。まさか、芭蕉の足取りをそのまま追うつもりはなかったが、移動に伴う出会いによって自らを率直に反応させるというのは、諸処の人の事情を鑑みるとなかなか潔いと思えた。
旅の観光という目もあり、見知らぬ土地を歩く事を経験に照らし合わせ符号を探すなどして、新たな記憶の組み合わせに落とす目もあり、ただ新鮮さを受け止める目もあるが、道を行く、時空を訪ねるという歩行を、当惑という他者の目撃の手法に簡潔させ、カメラが移動する為だけに身体を機能させる。よたよたとはじめていた。
同時に、時空に対する当惑を、場所における百年の文脈の認識を併せ持つようにすることで、この眺めの移動に、余計なモノを呼び込まない結界となるのではと、見える場所の見えない過去を当惑の理由にすり替え、逆説的に対峙のスタンスの情緒的、気象学的気分の変化の抑制へ作用させる鍛錬を反復に含ませることにした。
くよくよと振り返りつつ行う反復は、それ自体が景色を求めるというより、計画の余白に顕われる自身の立ち位置を研磨するように磨きだす修練じみた。骨に染み付いた嫌らしい仕草を切り捨てるには、修練で知った水平と垂直のみへの信仰に似た依存で済むかもしれないと思い始めたが、この時、丸いレンズと四角い受像イメージとの機能的な理論のズレが、この十字の戒めに逆らったものであるため、ふたたび頭を抱えるのだった。
posted by machidatetsuya : 07:08 PM | comments (0)
July 23, 2008
思えば
1984年に、韓国の3都市(釜山、慶州、ソウル)を回ってからヨーロッパ(アテネ、ベネチア、ミラノ、ウイィーン、ジュネーブ、ミュンヘン、ケルン、アムステルダム、バルセロナ、マドリッド、パリ、ロンドン)を1ヶ月かけて急ぎ足で巡る大学の研修旅行の際に、ドーモなどを収めるには35mmがいいだろうと一眼レフ(ペンタックス)を買った。それまでの作品撮影は全て友人のSuetsuguに任せきりだった。1987年の渡独には、当時開発が急ピッチで行われていたハンディカムと小型液晶モニターを持ち込み、写真よりも映像を撮影したが、80年代後半は一眼レフを旅先に持ち込んで、撮影写真が作品の一部を成す制作発表をしている。1990年に入って、友人のKurosawaから、所帯を持った祝いに貰った125ccのカワサキオフロードバイクを乗り回してから、彼に黙って売り払い、その金で中古のゼンザブロニカSQ6x6を手に入れ、中型の描写力に傾倒し現在まで続く歩行撮影をはじめた。機種はそのうちペンタックス67に落ち着いたけれども、90年代の撮影機の開発に煽られて、様々な受像機とレンズを使い、膨大なポジフィルムを一度映像にコンバートしている。
すべてフィルムカメラであったから、世紀が変わって、デジタルが台頭した当時は、所詮デジタルはフィルムの解像度にはかなわないと、懐疑的な姿勢は変わらず、フィルム会社が閉鎖に追い込まれても、マミヤ7を肩にぶらさげ、ニコンのマニュアル機を新規購入している。
フィルムの現像からプリントという、出来上がってからはじめて撮影時の結果を知る「光景の時差」を抱える写真の制作行程は、時に錬金的な手法の介在が可能であったから、レンズと受像機の性能ばかりでは片付けない語り口の横行にも頷いて、そうした仕草をトータルに纏うシルバープリントの純血を信じる時もあった。
時差が無いとは一体どういうことだ、首を傾げながら廉価な初期型小型デジカメLUMIXを試すとプロダクトとしては最悪だった。が、データの扱い方は勿論、撮影態度までがまるで変わり、幾つもの神話を難なく破壊するデジタル撮影の、「写真」というコンテクストへの切断力には大いに惹かれたのだった。各メディアの、「写真」を扱う環境もデジタルへ大きく変革された現在、デジタルカメラは平均的な記録受像器となったが、デジタルによってむしろ「写真」の根本的な性格が露になり、目の前が簡単に而も正確に記録されてしまうという、カメラオブスキュラ出現時の、「当惑」が再来しているのだと考えるに至る。
デジタル撮影のデータと身体の「無関係」さというより、近視眼的に詰め寄っても肉体的には理解できない仕組み(0,1)の彼岸が、逆にこちら側の岸である「此岸」として新しい歩行を与えてくれている実感があり、できるだけ錬金術を挟まぬ態度で、月周回衛星かぐやの姿勢を師と仰ぐ撮影歩行をひとつの思想と捉えはじめた。
posted by machidatetsuya : 11:32 AM | comments (0)
February 29, 2008
何も変わっていない
26年前の1982年の冬、私は鬱だった。前年の12月から3月までの冬の間、八王子の椚田という京王線、山田駅から坂を下り、北野街道の南側に流れる小さな川沿いのアパートの2階のワンルームに籠って本を捲り、読むものがなくなると古本屋まで出かけて手当り次第に手提げに入れてまた部屋に戻ることを繰り返していた。アパートの前には魚屋があって、近くにコンビニ等なかったと記憶している。春になってようやく大学の友人と会い、俺は悟ったなどと呟いていた。
たいして生きていなかったくせに少し前の過去を「捏造の日々」と嫌悪し、自分を捜すというよりも、できるだけ自ら離れるような自虐を愛すようになっていた。読書はだから身を捨てる行為に近かった。御陰で世界が眺めの塊となって隕石の落下のごとく身の回りに落ち続けるので、幽体離脱し、燻るそれぞれのクレーターに近寄るだけで世界の痕跡に同化できた。今思うとあの時の同化の力には、狂気じみた勢いがあった。
あの頃の無謀を振り返りたいのではない。あの時に経験しはじめた眺めの質がいつの間にか骨のあたりに原爆の影のように刻印され現在迄それが作用している。年齢を重ねて、老いつつある体から逃避して再び幽体離脱し、他者へ身を投じようというのでは勿論ないが、世界そのものの力を畏怖しつくづく途方に暮れる眺めというものは、実は私そのものであり、肉体でもあって、人間性の傾向という普遍と違った、あるいは行動のカテゴリアルなある種でもない、非常に固有な知覚かもしれないということだ。そう考えないと、つまり選択する力の生まれる根拠が見当たらないし、この選択の力は成熟している実感がある。
1993年にも同じような鬱が訪れている。ポジフィルムをルーペで眺めてはカメラを持って出歩くことを恢復歩行と呼んだことも、自らが病にあったことを示している。
posted by machidatetsuya : 03:16 AM | comments (0)
June 07, 2007
ほとんどの
イメージ(視覚的像)は、非肉体的な構造(近代的ツール)の引き起こしたアクシデントとして、結果だけを人間の前に顕すから、結果をあらかじめ、恣意として動かす時、それは恣意と同時に用意された引き出しに仕舞われるしかない。
嚔で引き金が引かれた、不本意な発射という銃もあり、そこから始まった悲劇は、都度新鮮すぎるのであって、経験的倫理の内に説明することはできず、ただ引き起こされた環境のその後の描写という罪を意識で背負うことしかできない。
カメラも、見る事の装置という短絡よりも、銃の引き金と同様、偶発的なシャッターの瞬きによって、世界の現実併置が記録されてしまうのであって、それを意味深に、人間的な方向へ(これは絶えず過去へ向かう)ベクトルを与えることは間違っている。
ただし、言葉が物語によってしか、道具として生成成熟しないように、カメラという装置が残す写真というイメージも、夥しい量の果てに、洗練することもあるが、それは恐らくイメージの美的な洗練ではなく、人間の見るという能動的な欲望の眼差しが空間に充満するような、レンズと像の定着のクオリティーの洗練であろうし、それによって、「見えること」の肉体感覚も変化せざるを得ない。
写真はだから、匿名性というカメラの構造が、撮影者という恣意を打ち消す、原子爆弾のようであるべきなのかもしれない。そして近い将来、記録された画像から、考古学のような解読の技術が注がれることで、まるで琥珀と同質の鉱物の性格を新たに纏うだろう。
数百万画素とデバイスの開発を誇るデジタル画像が、進化すればするほど、これまで無頓着だったフィルムのクオリティーにようやく気づくという、変換(コンバート)の黎明期にいて、現象の世紀であった20世紀の、現在からみればささやかすぎるイメージの記録総量に、悔いる時がくる。
写真のルネサンスは、報道、ドキュメント、記録、広告、といったカテゴリーを一掃した、構造原理主義に似た形で訪れる筈であり、その時は、夥しい量のイメージをデジタルであれ、フィルムであれ、歴史化しソートし再解読する手立てが整ってからでないと始まらない。
だから、絶句する「写真」を事故として、瞬きしてしまったメラを持つ人間が、新しい倫理的な写真家となるのではないか。そしてこの場合の写真作品はアートとは無関係であり、むしろアートを切断し無効にてしまう力を帯びなければつまらない。
posted by machidatetsuya : 04:38 AM | comments (0)
May 30, 2007
記録する道具の逆転
並べ替え(ソート)整理する「ライブラリー」化という意識は、航路と羅針盤から植民地というテリトリーの拡大によって、300年ほど情報を拡大成熟させ、博物学は動物学・植物学・鉱物学・地質学などに細分化され独自の方法論を展開するようになった。
ピラミッドなどの、都市国家建設にも、「記録」という似た思想が働いている。人間の構想力が、生産するという剰余にイコールされ、物事を生み出す事は加算上書きするイメージがあった。
稚拙な積み重ねが時間と平行して消化されているかの速度は、まだよかったが、唐突な事故性を孕む道具が溢れる事によって、意識は遅延して、弁証的な観念を産むことになる。
銃もカメラも、そうした意味で、理念(イメージ)を先行しない。むしろ非人間的な事故性を先鋭に持つ。
posted by machidatetsuya : 12:50 PM | comments (0)
January 12, 2007
円卓という空間
骨格(ツールとしての時空)
卓上に集う人は無作為であり、一切の文脈(言語、生活、世代)の共通項がない。ゆえに其処に集う意味があらかじめ用意されていない。自己紹介をはじめる者もいれば、自分は何故こんな場所に居合わせているのか訝しく黙り込む者もいる。
ふいに薄暗い空間の円卓に映像が音響を伴って現れるが、それは映画のような物語ではなく、かぎりなく断片的な静止画像であったり、短い脈絡無い映像であったりする。時には、集った者の中に、映し出された映像に関係を見いだした者が居て、その空間に居合わせた人々に向かって、映像の説明を喋りはじめたりする。興味の無い人は、黙って彼の話と関連する映像の終了するのを待つ。あるいは席を立つ。映像と音響が消え、円卓に酒のはいったグラスが運ばれ、人々は任意にそれを手にすることができる。集い座した人々の中にカップルやグループといったマイノリティーが居る場合があり、彼ら同士で囁き始めるが、集う人々の囁きは集音され、遅延して空間に響き渡るように拡声されるので、その場の人々にはくっきり聴こえる。再び映像が円卓に映り出される。やがて映像はパーソナルな肖像になり、その映し出された人々は自ら話し始める。更に円卓に座った人々自体のクローズアップが遅延した映像として円卓に挿入される。映し出されたモノが数分前の自身と知った者は、時には不愉快になり席を立ち、別の参加者がその席に座る。延々と酒を飲み続ける者も居るが、乱れた自身が同じように円卓に映し出されると、グラスを置き席を立つこともある。
映像は時々途切れ、あたりは静まりかえり、しかしまた、円卓に顕われる。
口論が起きた場合は、SPが当事者を強制的に退出させるが、恋の芽生えや誘惑はよろし。
Visual Echo Bar Planning
posted by machidatetsuya : 10:36 AM | comments (0)
October 23, 2005
光景への始動メモ
その光景が顕われる条件を検証すると、どうやらその光景に至った物語というより、経緯が必要であり、それはごくありふれた状態の連鎖でなければ、例えばコップの水は減ったまま、そこに置かれていないということになる。配置への道筋を組み立てるには、場所が先にあるべきではない場合もある。光景の時間も、朝であるか、昼であるか、夕方であるか、夜であるかを、光景の質に問うことにすると、その光景の眺めの時間軸と眺めの主の享受の姿勢も仮設しなければいけない。
家族が朝の身支度を済ませ、自宅を出払った後の食卓の片付けが、こちらに任されたまま放置され、夜通しの仕事の縁でそれを眺める時があって、食卓の、食べ残された朝食やミルクが残ったグラス、卓上にこぼれたパン屑、水滴などに、朝の家族夫々の慌てた仕草が残っていて、苦笑しながら片付けるのだが、では、こうした状態を仕組むとなると、家族ひとりひとりの目覚めから行動を追って、仕草に至った経緯を重ねないと、グラスにミルクは残らないし、パン屑に、意識が乗り移り、心のトラウマを訴える暗号のような不要な意味を持つこともある。
唐突に、配置によって状況を顕すことは簡単だが、その状況が光景としての意味を持つ事が肝心で、例えば、青年の頃幾度か川の流れの中に椅子を置くことを試したが、椅子は部屋から運んだままであり、いかように置いてみても、川の流れという環境に逆らい続ける存在でしかなかったが、その椅子を引きずりながら流れの中を歩む人間が顕われると、川はトータルにその動きを含み、光景の質が変化したことがある。それを切っ掛けに川や森にでかけ、配置を撮影する試みを繰り返していた時、ヤマシタという男が川の中に落ちてあった石を選びながら、自身の頭に乗せて、落とさないように足下を身体で探るように歩む行為を行い、それを記録したが、それも、石と人間と川が状況をひとつにまとめあげて、なぜかリリックな風情を醸しながら、川の音や辺りの反響が、妙に冴え渡って聴こえたものだ。ヤマシタは以降、頭石というパフォーマンスに切り詰めて、こちらとユニットを組み幾度かコラボレーションすることになったが、今でも印象的な光景として残っている。
最近、遅々と繰り返しているエスキスには、必ずテーブルが片隅に在り、置かれている場所の想定は、森か湖か草原の手前、雨上がり若しくは小雨が降っている朝で、テーブルの上には、朝方まで続けた宴会の残骸が残り、倒れたワイン瓶には、液体が残っていて、チーズがこびり付いたままのナイフや、吸い殻の溢れた皿がある。脇には焚き火の跡があり、小雨のなか燻って、弱い煙の筋を立ち上げ、だが、人気は無い。(靴下の脱げかかった足首があるというエスキスもあったが)このひとつの光景の為に準備すべきことはまだ多い。おそらく樹々の中であるという状況は、配置されるモノが際立つ為に用意されている。小雨は状態の経緯の時間を示す。人気が無いというのは、宴の参加者の肉体は酔いつぶれてどこかに倒れているということも考えられ、これが夕方だと、それまで放置され片付けられていない切迫感が光に顕われ、光景に事件性を付与してしまう。
テーブルの上の生ハムや野菜や肉や魚の残滓自体が、参加者の性別年齢、生活者の環境を意味するので、克明すぎては余計になる。
と、ようやくここで、テーブルのプロダクトの構造計画に踏み切れるわけだ。
posted by machidatetsuya : 03:54 AM | comments (0)
October 22, 2005
光
目蓋を開けると瞳は光を感応するから、闇の中で目蓋を広げても何も受け止めることはできない。これは瞳に光が宿っていることを意味しない。つまり目の前がこちらよりまず先に在る。目の前に遅延して感応がはじまる。こうした記述も同じであるから、記述の手前に、言葉などこちらに宿っていない。記述によって顕われる形が、様々を遅延して呼び込み、連鎖を生むにすぎないから、記述をその手前で悩むというのは走らないランナーということになる。現在を開くのはだから、とりとめもない顕われの無制限な許可と遅延感応の学習によって形作られる「わけのわからない今」ということしかできない。
おかしなもので、こうした「わけのわからない」今が堆積して「今」が変容するけれども、いつになっても変わらない「今」が顔を出して、それは美しもあり、同時に醜くもあり、間違っていながら正当であるものだ。
砂漠など縁もない場所で、流砂を想うようなことが、果たして有効かどうか迷うのが、未熟であるとすると、迷わず想いを念いに投げ出すことが成熟だと、わたしはかつて、おかしな決定をしたものだ。
緩慢に色あせ埃にまみれた「(岸辺の)アルバム」を眺め、色褪せの退化とシンクロした過去を憶う時代ではなくなり、緻密な歴史の学習をするように、様々なメディアで時間を遡り、自身に関する克明な時間と空間を取り戻すことができるようになったこの時代の環境によって、おそらく過去は、情動的な装いをやめて、現在を感応レヴェルで刺激する。
どうやら、闇に取り込まれる日が近づいている気配が日に日に増すので、光自体の強度という光景に対する、こちら側の睨みの強化学習を意識的に戒めて行う必要が濃厚になってきたようだ。
posted by machidatetsuya : 12:55 AM | comments (0)