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June 30, 1992

放置

置く(放置)ということを、前向きに考えるには、整理することと、乱雑に散らばることの、両方に触手を伸ばし両目で捉え、そのいずれかの選択をしないということだ。整理はある種の目的に達する。散乱は意味と統合を嫌う。こちらとしては自然の有様を模倣するするのではなく、人間的というこちらの性質を問うように、両極を批判的に使用したいのだ。置く事を批判するということは、勿論置かないということではなくて、置いて、そこに新たに置くという仕草を全面的に行うということだろう。置かれたモノは、置かれているのではなくて、在るという状態にさしかかるムードを持つことが大切で、そういった駆け引きが、制作そのものとなる。

posted by machidatetsuya : 10:27 AM | comments (0)

June 29, 1992

システム

つくる時、つくられたモノがはたして自立するのかを判断しなくては、前に進めないというのがむつかしい。こちらの意欲や眼差しの衰えがあるとして、そういったことを理由に作品の「作品」という言葉への依存を100%にしてしまうと、いつか吐気の気分にすべてを喪失する可能性がある。立ち戻れる制作とは、だから人生ではなくて、システムだ。

posted by machidatetsuya : 10:25 AM | comments (0)

June 14, 1992

斥力

「斥力」という概念が面白いのは、単純な力の関係であるからで、その裏側に引力という逆説を隠し持っているからいるからでもないし、反発する力を象徴構築する短絡的な言葉のもつ意味に惹かれるからでもない。斥力という性質ー(物体間において、互いに遠ざけようとする力)が、人間に作用するように、置く仕草を試みる時、併置に潜在する斥力の可能性を考える時、存在の孤立、排他的な存在の定着に陥ることなく、眺めが切り開かれてはじまる気配に満ちるからだ。存在に悪意があるとしたら、それはむしろこの斥力の欠如を示すのではないかと思う。

 斥力場という眺め自体、我々に宿る感想の類いであるにしろそれはそれでかまわない。そのものの、あのものへの遠ざけようと意欲する「形状」をつくること。自然は、単に断片の性質が投げ出されているにすぎない。過剰な仕草を与えると現実は嘘臭くなって、人間の肉の香りを漂わせる。モノがモノである空虚さを、誇るのではなく、我々がモノの性格、性質にやきもきして、焦れるように、「かたち」と「位置」と「表情」をみつけていく作業が、ぼくの立体制作である。人の仕草の象徴としての抽象能力の斥力場というもの。

 因に、引力、惹かれあう構造は、斥力を裏側に隠すけれど、そういった出来事はありふれている。所謂、「愛」は引力で語るべきではないということだ。

 整いの隙間から滲み出す乱れで、端的な立方空間をつくれないものか。乱雑なゲームにしないで、単純にとした挙げ句が、箱型であった。立方体は非常に便利な形態だ。

 睨み合いを睨む。消耗したビデオデッキを再生一時停止させ、画面がエネルギーの停滞に犯されて、ぴりぴり歪んでいる様子をそのまま数日眺める感触。ハードさえ壊れなければ果てがない。

 風景を現実としていかに捉えるかは、その方法よりも現実感という意識を回復させないとだめらしいが、ともかくこちらで、風景へ直接働きかけることで、余計で稚拙なイメジを払って、単純な現実をつくろうとする制作は、念力を開発して変幻自在に操ろうとする企みのようなものだ。時に観念も感想も朽ちて、輪郭のメリハリも消えて、どうしようもなくなる。だが痙攣するように身体は動く。そしてわけのわからない感覚で、イメジの残り滓を遠ざけようと、物理的な光景へ関わっていく。その反復が、ぼくの現実感になるのだからおかしなものだ。

posted by machidatetsuya : 10:20 AM | comments (0)

June 12, 1992

騒々しい

騒々しい。「騒々しい塊」を認識して、確認するだけの会話が横行する様は気持ちが悪い。制作はこんな具合の感想に、しかし煽られて行われている。つまり、観念に知恵と熟練を注ぐように、モノを眺めているわけではなかった。クルッと回ればなんとかなるという心持ちで、茫然とする自身を楽しんでいる。出来事は本来唐突に現れて、現在を瞬時変化させる。怠惰に甘えれば、愚痴に終わる。その遅れを嫌悪して、予感に頼る。歴史を全貌できる視線が、たちまちこちらに満ちるような時があったとしても、未来に関しては変換不能の、無知を気取りたい。確定的な仕組みには、撓みも、歪みも、豊饒もあるわけないとすると、瞬間たち現れるものは、不透明な存在でないとつまらないことになる。この不透明という加減、度合いが肝心だ。

posted by machidatetsuya : 10:17 AM | comments (0)