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June 14, 1991

刃を研ぐように行為を篩にかけ、単純清潔にときりつめていくと、飾り気のない、特性のない端正なものがあらわれるけれど、そうする過程において背筋を貫いている意気地、依怙地さのようなものが、ちょっとした隙間に、とろっとのぞく。これが、おそらく艶と呼ばれる。

 立場とか態度とかを正面から広げると、その裏側の、対する総てに恨めしい物腰が匂って、姿勢の問題ではなくなり、ただの呪いとなる。立場や態度が、こちらやむこうを通り抜けどこか知らないところへ行ってしまう徹底した無根拠さを持って、表現を試みること。そして、更に、艶なども排除したい。そんなものいらない。まだ33だぜ。おい。

 説明されることのできない表象をみいだすこと。同時に幾つかの行為が眺められる時、ひとつの眼差しにおいては、共存できない構造を示すこと。見つめる事が、みつめながら視線を別の軸へと振る(誘惑する)運動となるような表象であること。

 最初に果てがある。この律を絶えず言語化すること

posted by machidatetsuya : 10:05 AM | comments (0)

June 11, 1991

伝達

集団が合法的に、あるいは信仰によって、あるいはなにかしらの力によってとりまとめられると、象徴としての絵画が生まれ、公というスタンスの熱狂を与えた。現代は様々な個の集合体として、まとまりのない全体をいかに解釈して、モノとして現わし試すかが個の表現となる。だがこれは、個が全体に反映する為のものではない。個から差異前提の個(他者)へのパーソナルな伝達を基本としなくてはつまらない。全体などないからだ。

posted by machidatetsuya : 10:04 AM | comments (0)