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January 25, 2010

川について

 どんぶらこっこと大きな桃が流れてくる物語は、いわば川よりの享受、貰いものの話であるが、川は廃棄の場所でもあり、消去、切断、忘却、別れといったニュアンスを与える。

 生まれ育った地方都市を、三つの川が注ぎ込み交わる場所でなかったらと考えると、全てがひっくり返って、今を想像できない。

 川の無い場所もあるし、川を埋め立てて地下に隠蔽する都市構造もある。川があればどうだこうだということではなくて、川について考えることは、その歴史も勿論、現在の顕われは、予知に繋がっていると、ふと思った。予感、予知というものは、第六感などというより、あからさまな運動に支えられていなければ、そのベクトルの先端を示すことにならないからだ。そして予知は探求(疑惑)の契機として充分すぎる動機となる。

 水が移動すれば、その流れによって大気も移動し、土地は削られ、岩が転がり、人も流れる。いずれ海へ繋がるなどと考える必要もない。父親は病死した犬を川に埋めた。骸は腐る間もなく流れ去っただろう。

 湖を構想すると、窪んだ閉鎖空間が、風に煽られるような微細な差異の出来事となり、ただただ蓄積する。出来事が湖の中央を向くわけだ。それは成熟のモデルとして考えやすい。同じように川を考えると、どこまでも川縁を歩き続ける運動が生まれ、これには果てがないような心地もあり、切断の放棄感も絶えずそこにある。

 と、そういえば、秋川渓谷、奥裾花川、多摩川、千曲川、犀川、南木曽渓谷、荒川、浅川などなど、浮かぶ光景はあまりに多い。

 川について考えていると、ダムがさながら脳梗塞を想起させて邪魔をする。

posted by machidatetsuya : 07:20 AM

January 20, 2010

着古したTシャツ

 取り込んだ洗濯物をたたんで積み上げる。まだ陽射しのぬくもりが残っている。着古したTシャツや、靴下が丁寧に折り畳まれて仕舞われる。そういう手法に、あっと気づいて酔うようだった。

 哀切も、狂気も、矛盾も、アクシデントも、反射も、そうした洗濯物が仕舞われた空間でこそ、人間的であり現実的であるのかもしれない。何が一体どのように使い回され、使い込まれ、日常を形成している普段は見えないパラダイムを、再び襟元の草臥れたTシャツを何気なく着て自転車に乗るというように、構わずにいたって凡庸に広げることが、ひとつ倫理として肝心なのだろう。

 認識を都度あらためれば、繰り返される戒めの中に在って、わかっていることだが、ありふれているので、どこかに仕舞われてしまう。置き忘れてしまうようだから、見える場所に置かないと。

 

posted by machidatetsuya : 02:18 AM | comments (0)

January 12, 2010

ネオプラグマティズム コンセンサス

 リチャード・ローティも確かに牽引した。もともと合衆国の空間が多種雑多の異種混合の共同体として、前世紀後半を走り抜けた中、プラグマティズムで明快な結果を示すことがコンセンサスとなりえたのだろう。映像や音響の、映画手法、コンサートPAシステムなども、より巨大なスクリーン、轟きながら解像度を保つ音響という短絡指向は、動員数に応じた開発が無理ではなかったこともある。

 この国でも人口に応じた、都市インフラというものはあるが、隣の国と同じ開発をすれば、たちまち赤くなるのは仕方がないにしろ、時差を呼び込んで、レアものへ手を付けることを控え、隣の国の次世代型へ移行するタイミングを見計らって、一世代前を安価に手に入れてきたわけだが、葛藤は残った。この葛藤を情緒でカヴァーするという根性は見上げたものだったが、諦めを背負ったような貧しい姿勢が育む卑しさはなかなか消えない。

 親たちの世代が食い物の話の中で、これは高級だなどという言葉を使うが、単に値段が張るだけのことであり、では日々低級な生活をしているのか、怒鳴りたくなる。映像や音の世界に現れる、顕著な工学的クオリティーは、時に、例えばコンサート会場の音響体験の次元を変容する力を持ち、演奏者自体も構築された音響空間で未知の経験をする。自らの声が全身を貫いて震える。馬鹿な人間は「俺って凄い」とか思うわけだ。映像を支える新たなカメラユニットによる新しい視覚経験も然り。

 いずれにしろ、下降するようなヒタムキさ、只管な態度の背中には、「高級」を憧れている路地裏の子供地味た匂いが漂う。単に「よいもの」とはどういう現れかということを、ネオプラグマティズム コンセンサスを踏み越えて行わなければつまらない。同時に知覚に備わる能力を成熟させる近道の、その入り口はプラグマティズムでもある。

 車のスピードメーターの限界速度を走ることができるのがプロダクトの要であり、ボリュームをマックスにして大音響を放出するオーディオシステムは、そのボリュームのキャパ自体、人間の知覚経験の提示想定内にあると考えるのは、少しもおかしくない。

 ただし、隣の国で夢中に開発している、得意げな3D映画というのは、見世物小屋の偽物を無理矢理大袈裟に見せられるような感触があり、バタ臭くていただけない。若い人間には、想像力という能力があるのに、これをこけにしているような気がする。年寄りの介護とかに使う方向をみせてほしいものだ。

posted by machidatetsuya : 10:01 PM | comments (0)

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