- アートが生まれる瞬間 - Rieko Koyama,Jin Nakamura,Tetsuya Machida
@ art project saniwa gallery
October 2021











「秋の星座」- 観客のいない制作 -

 事を露呈させる、顕すことは悲劇であるという、青年の頃の稚拙な達観が拭えない時空を過ごしてきた者としては、年齢と共に意思決定の遅延する制作という世界への介入(放下ーgelassenheit / Martin Heidegger)には、贖罪のニュアンスが含まれる。責任の所在を巡って長々と追求される(視覚認知)と同時に、探索捜査せざるを得ない「一筆(ひとふで)」「みつめ」があり、この贖いそのものには終わりがない性質があって、私にとっては、そこには「終了」あるいは「完成」というものがない。倹しい些末な決定あるいは未決定の数々が都度目の前に広がるばかりで、責任は負えそうにないと溜息を吐きつつ、その始末を遍く考え続けているようなものだ。

 時々の時勢に打ち寄せられ、其々の岸にとりつく場合があり、その度その場に重ねられた痕跡をやがて束として眺めるようになる時、歪(いびつ)な「私」個体の骨だけになったかの死骸は複雑怪奇な塊と放られているので、その片付け、振舞いに対峙することが、私にとっての現在の制作とも云える。
 「露呈する事・される事」が孤立無援で悲劇的に成立されながら、「恣意」と「恥」と「他者」と「私」は、この困り果てた状況の中にいて、更に無責任に放り投げよと促すのはなぜか。こうした生存は幸せであるはずがないとぼやきつつ。

 故に私の作品は、目的が達成される類いとは言えない。例えば平面における皮膜の様相の解釈と改変、あるいは削除と加算という振舞いによって、現在を顕すというより、いよいよ朧で未決定だった過去が明らかになればよい(贖罪)と考えるのであって、構築的なスケジュールの呪縛からの逃走する性癖がその思念に加わる。私は今回の展示総体を「秋の星座」とタイトルを与えるインスタレーションとしたのは、同時期別の場所(FFS倉庫ギャラリー/長野市)で、「夏の星座」と題した立体によるインスタレーションを開催しているからでもある。「星座」とは私にとっての時間と視覚の認識の名とした。

鹿の家と配達人の星座について
木炭、炭化ケイ素、オイルペインティング、エマルジョン画布
wide 610 mm x high 805 mm 
横臥飯縄山
鉛筆、オイルペインティング、綿布
wide 730 mm x high 500 mm 
九つの書物
水彩絵具、アルシュ水彩紙
wide 260mm x high 360mm
タレスの目
水彩絵具、アルシュ水彩紙
wide 260mm x high 360mm 
樹間に双子座舟種
木炭、炭化ケイ素、オイルペインティング、エマルジョン画布
wide 1000 mm x high 805 mm
逆谷地を巡って
オイルパステル、水彩絵具、アルシュ水彩紙
wide 455mm x high 530mm
虚空をゆく船 2020-2021
鉛筆、木炭、炭化ケイ素、オイルペインティング、エマルジョン画布
wide 640 mm x high 980 mm 
メドゥーサの石
木炭、炭化ケイ素、オイルペインティング、綿布
wide 455 mm x high 600 mm 
多面体の石から星座へ(鹿とヒト)
木炭、炭化ケイ素、オイルペインティング、綿布
wide 455 mm x high 600 mm
斧を携えた兵士が鍵盤に触れる
木炭、炭化ケイ素、オイルペインティング、エマルジョン画布
wide 720 mm x high 1170 mm
竹馬族に関する多面体もつれの石壷
鉛筆、木炭、炭化ケイ素、オイルペインティング、綿布
wide 640 mm x high 980 mm
杉石 2019 - ユウトとハルナの森 2021
木炭、ダイヤモンドブラック、炭化ケイ素、オイルペインティング、綿布
wide 1165 mm x 910 mm
或る削除2019 - 平らな場所2021
木炭、炭化ケイ素、オイルペインティング、エマルジョン画布
wide 910 mm x high 1165 mm 

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