Solo Show beyond / gallery 82 NaganoSeptmber 1998



「此処という彼方」
孤高を気取る虚無僧にしても喰うための術を狡猾に工夫していたろうし、聖が聖として生きる事自体、麓との照応に依るしかないという意味と存在の転倒があった。どちらも言わば社会的な存在でしかない。問題とすべきなのは、精神の在り処とかではなく、「外」を維持した生き延びる術である。単独の制作などによって、「純化される己」という陳腐な美化で落ち着く心持ちに至ることが、まさか私の目的ではない。「此処」に、関係の持ちようのない、「意味の消滅」を求めるようなことが、制作を20年抱え込んだ者の正直な意欲となった。この世で人が生きると、その澱が深々と積もって量となり、それに辟易することにも愛着を抱くようになる。現代は、人生が何段かの重箱の様を成し、開き直って複雑な年月を溺愛する正当性はある。けれども、そういった現在自体の捨象、離脱、切断が制作へのモチベーションとして定着して久しい。
以前、近くの交差点角に子供らを集めていた店が廃業か移転で、建物から消えた。部屋の内側の一切が消え、壁紙やら床やら尽くむしりとられ、乱暴だが見事にモノひとつ無い人気の失せたカラッポの部屋が、空間自体に戻されたように、余計な装飾を削り取られたガラス戸から眺めることができた。仕事の行帰りに、交差点で信号待ちすることもあって、度々その空間を眺めた。車のライトや信号の灯りがガラス戸に硬く反射し、部屋の暗がりへすうっと伸びる。放ったままというわけにはいかないものだろうかと愚痴た。「消滅の空間」であって「廃虚」ではない。「廃虚」にはモノが散乱し、壊れ、瓦礫化した「解体の空間」であって、むしろ様々なイメージや意味を抱き寄せてしまうものだ。二ヶ月もすると、人々が集まり、全く違った種類の店が、きらきらと至極簡単に出来上がった。借り手を得るまでの間が創出させた、あの奇跡的な時間と空間は、突き放された現実として印象深くこちらに残ることとなった。
絵描きが画布に向かうと、如何様であれ一対一の強い関係が相互に生まれるものだ。そして、出来上がった作品は、単独を誇るのではなく、人間のモノとの関係の結果を共有させようと観る者に迫ってくる。それがたまらない。見知らぬ人間のこれまでの全てを本人から間近で聞かされるようなものだからだ。そもそも絵描きにはむいていないとつくづく思う。そしてその気持ちが、全く別の根拠となって、白い画布の前に立たせるのだからおかしなものだ。何も手を加えていない不思議な白い広がりを眺めると、「消滅の空間」が思い返される。まさかあの人気のない部屋を描いても、記録に残したとしても、部屋自体の存在のニュアンスはどこかにいって、描いたり切り取ったこちらの恣意に弱り果てるに違いない。そんな途方に暮れるしかない画布との距離を清算しようと、制作を離れ、日々嘆きながら、戯れも許した写真の撮影が、これも画布との付き合い以上の時間あった。写真も然り。視線を超える、目から鱗が落ちるような光景など現われない。「絵画的写真」には興味がない。作品を記録するために始めたとはいえ、カメラの性能やレンズの構造を考えることに撮影の意味をズラしながら、写真のある種冷徹な力に引きずられ、対象を意識に捉えるのではなく、絞りとフォーカスとシャッターとの関係の結果である「現実」を、ものを思わぬように切り取りはじめた。そしてやがて膨大に蓄積されたストックをあらためて辿ってみると、そこにいくつかの意味の「消滅の光景」がみてとれた。
耳を澄ますとか、目を凝らすとかして、我々は自身を戒めるように、無理強いして現実に集中するけれども、そのような集中に普遍性を思えない。人の内側の問題とされるからだ。こちらは人に内側などありはしないと思う者だから、いきなり外から訪れる「突き放されるような現実」にこそ出会いたい。それは、「此処という彼方」というパラドクスであり、これまでのこちらの培った全的な対応が無効となる何かだといえる。
平面と写真という数年来の曲折は、時に月並みな構成的構築への欲求を膨らますこともあった。だが、その多くは意味や認識の再統合へ向かう弁証的な造形の変容しか望めなかった。辿り着いたのは、併置という些か無謀な仕草となった。それぞれが持つテクスチャーの斥力は、こちらにとってのイメージのプレ.テクストとして、異質な思考を要求した。そして更に、あのガランとした人気の失せた部屋の佇みに寄り添うような清潔さが、その思考自体に顕われた。
この「併置」というメソッドが、技術的な方便でなく、「現実」を注視する装置として、繰り返されることなどによって、その恣意が解けた時、何らかの新しい思想が形づくられるだろう。制作の本質は能動性ではあるけれども、制作のクオリティーというものは、それだけで成立しない。あらゆる懐疑と憶測と淘汰を招いて、「倫理」に辿り着かなくてはならない。こういった演繹的なビジョンは簡単でダイナミックだ。そして、そのダイナミズムとは、「写真」と「画布」と「空間」を、これまでの因習から切断して、「はじまり」を始めるということに尽きる。
June 1998  




Sakaimeijyo Syuzo Collection

Dedicated to the late (Yuji Miyazawa)
2268mm(high)x3850mm(wide) 1992 Nagano Station/Old type(6x6:RC),f150canvas,silicon carbide,plywood,glass
blank out balance
1455mm(high)x2770mm(wide) 1997 studio(6x7),1994 chausuyama(6x7),1996 rina(6x7),1996 Yoshimura Masami(6x7) silicon carbide,mixed oil,f80 canvas,canvas(165mmx255mm)
92*98
Rina and Hiroshima '92、Canvas of '98 2000mm(high)x3330mm(wide) A-Bomb Dome Park 92(6x6:RC),Rina 92(6x6:RC),canvas(1mx1m),silicon carbide,plywood,glass
nightingale
2000mm(high)x3570mm(wide)x1200mm(depth) f80 canvasx3,silicon carbide,mixed oil 1994/SBC street 6x7 520mmx415mm,1995/Uematsu 1-cyoume 6x7 520mmx415mm 1995/Shimouki 6x7 520mmx415mm,1993/Joyama Zoo 6x7 520mmx415mm
current of time
1959mm(high)x7333mm(wide)x1666mm(depth) for you and luxor 1997 (f80 canvas,silicon carbide,mixed oil) a blast blow through our feet 1997 (f80 canvas,silicon carbide,mixed oil) distance and forknowledge 1997 (f80 silicon carbide,mixed oil) 1993-1994 photograph (35mm,6x6,6x7)1998 all prined by Shimizu Hiroyuki
pre i-con
1700mm(high)x4016(wide)x1200mm(depth) f50 canvas x3, silicon carbide,mixed oil,iron,plywood,glass 1993 yoshida 6x6、1995 sudio 6x6 1995 home 6x6、1994 chitose 6x6
Twin Solar Black
2400mm(high)x3000mm(wide)x1800mm(depth) f120 X 2,silicon carbide on canvas,glassφ600mm x 2 1994 asakawa 6x7 RC φ600mm,news paperφ600mm

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